豊城様
受験結果
- 豊城大悟さん(息子)帝京大学医学部合格
対談相手
- 豊城隆明氏 (お父様)
とよき内科医院長 医学博士・内科認定医・循環器専門医、認定産業医
豊城大悟氏(ご子息)とよき内科副委員長 専門:腎臓内科 平成23年帝京大学医学部卒業 帝京大学医学部大学院在学中
※「 Doctors Jounal VOL.20 2016 Autumn 」より抜粋。掲載内容は取材当時の内容です。
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それを教えてくれたある受験生との出会い
長年、医学部受験指導に携わってきた池袋理数セミナーの藤田代表は「医学部合格は、本人と両親、我々受験指導者の3者が一体とならないと勝ち取れないと思っています。特に父親の存在が大きい。子どものころから医師としての父親の姿を見て育ち、自分も医学部を目指すようになりましたという受験生を多く見てきました。受験の先輩でもある父親は、お子さんにとって一番の理解者であって良きサポーターであって欲しいと思います。」と語る。今回の対談では、父親の目線からわが子の医学部受験そして合格までの道のりを語ってもらった。勝手に慶應義塾大学の推薦を断ってしまう
藤田
本日はお忙しいところをありがとうございます。私にとってご子息の豊城大悟君は特に思い出に残っているユニークな生徒さんでした。 彼は大手の予備校に2年間通った後に池袋理数セミナーに入塾し、1年間で医学部合格を勝ち取りました。その間は本人だけでなくご両親も大変だったと思われます。受験時代を一言で表すとしたらどんな言葉になりますか。
豊城氏
父親としてわが子の医学部受験を表すならば、不安と葛藤という言葉に尽きたと思います。 そもそも大悟の場合、幼稚園から御茶ノ水大学付属で上がってきたので、高校受験をしなければなりませんでした。受験した全ての有力私立高校に合格し、その中から慶應高校に入学しました。その時は大悟も本当に頑張ったと思います。 私の喜びとは別に、妻は慶應高校だとそのまま慶應大学に進む人も多いので、医学部に行く道は閉ざされたと思ったそうです。慶應大学の医学部となると高校の成績もよほど優秀でないと難しいですし、付属校のため周囲が受験勉強をしない環境の中で医学部の受験勉強に取り組めるのだろうか、と思ったそうです。 それでも私は、慶應高校のレベルであれば、頑張ればどこかの医学部には合格できるだろうと楽観していました。 ところが、親の意に反して3年間の高校時代をエンジョイしすぎてしまいました(笑)。 1年生の1学期の段階で担任から、この中間テストの成績では医学部は無理です。どうしても医学部に行きたいならこのまま留年させます。と言われ驚いてしまいました。 その上なんと3年時の進路相談では、親に全く相談なく勝手に慶應大学への推薦を断ってきてしまったのです。
大手予備校時代の大失敗
藤田
随分思い切りましたね。彼にしてみると高校時代は遊んでしまったけれど、それでも医学部を受験したいという思いがあったのでしょうね。
豊城氏
そう思います。しかし医学部受験の具体的な手立てもわからず1年目は大手の予備校で医学部受験を目指しましたが、それが間違っていました。 授業についていけずにそのうち予備校にも行かなくなってしまい1年目は失敗しました。 これではいけないと自覚したらしく2年目も同じ大手予備校の寮に入りましたが、合格できませんでした。 3年目はさすがにもう後がないと思ったらしく、自分で個別指導中心のこちらの予備校を探して、結果的に3年目で帝京大学に合格しました。 後で本人に聞いたのですが、3年目も合格できなかったら、諦めてスタジオミュージシャンになるつもりでいたなんて言ってました(笑)
藤田
私どもの予備校では1年間の在籍でしたが、その1年間で彼の実力は確実に伸びていました。 今だから話せますが、たとえ3年目が失敗しても4年目も挑戦させたいと思っていました。必ず合格できると私は確信していました。
豊城氏
そうだったのですか。親としては、3年目で合格できなかったら次はもうないというつもりでいましたから不安と葛藤の毎日で、むしろ仕事をしていた方が楽でした。 ですから合格した時は本当に嬉しかったですね。息子の場合は大手予備校の授業よりも個別指導でぐいぐい引っ張ってもらう勉強法が合っていたのだと確信しました。
心配しながら見守りました。
藤田
受験勉強中のお子さんとの関係はどうでしたか。
豊城氏
受験のことで子どもと言い争いをするようなことは私も妻も全くなかったですね。 特に3年目に、藤田先生のところで勉強をするようになってからは、大悟の帰宅は私の就寝時間よりも遅かったので、お互いに顔を合わすのも朝食の時くらいしかありませんでした。お恥ずかしい話ですが、1年目は予備校にも行かずにほとんど家で寝ていましたから雲泥の差です。 おそらく2年目の寮生活でも同じだったのではないでしょうか。それでも大悟なりには悩んではいたのだろうと思います。
藤田
彼もいっていましたが、高校時代も含めてお父さんとケンカをすることは、ほとんどなかったようですね。 本人曰く、静かな反抗期だったと表現していました。成長期の男の子ですから父親への反発心はあったようですが、今の自分には父親に対抗できるものがないという負い目もあったようです。 ところで、お子さんを医学部に行かせたいというのはご両親の思いだったのでしょうか。
豊城氏
医師になってほしいという思いは私の方が強かったです。 私自身、医師の仕事はやりがいがあり素晴らしいと思っていますし。大悟も慶應大学への進学を断ってまで医学部を目指しているのだから、ぜひとも医師になってほしいという気持ちは強かったですね。 しかしだからといって、成人の子供に勉強しなさいとか言うのも憚られるし、最終的には本人の自覚に任せるしかないと思っていました。 ですからうるさいことは言わずに、心配しながらも見守るというスタンスでした。それは家内も同じでした。本人の気持ちを慮りながら、つかず離れずサポートに徹する。そんな感じで食事や健康管理などの環境にも心を配りました。 それでもさすがに3年目はこれではいけないと思い、本人も家族も真剣でしたね。
子どもは親の背中を見て育ちます。
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豊城氏
担任の先生から息子の高校での生活態度や人間関係について聞いたときに、クラスではムードメーカーで大勢の友達がいると大悟の人間性を評価され、医師の素質という点では安心しました。 私は人の痛みが分からないと良い医者にはなれないと思っています。私の周囲には、何年も浪人経験や留年経験のある開業医でとても盛業してるドクターがいます。そのドクターたちに共通するのが人間味に溢れている事です。だから患者さんが多いのです。今の医学部に多い、頭が良くて勉強ができるだけの人とは違います。 医師が優遇されていた時代と違い、これからは本当に人が好きで世の中の役に立ちたいという気持ちや使命感がなければ医師の仕事は続けられないと思います。
藤田
彼は当校でも人気者でしたね。多くの仲間から慕われていました。豊城先生がおっしゃるように、人間性は医師の素質として重要だと思います。私も彼のことは好きでした。
豊城氏
それと顧問の税理士から、子どもの前では絶対に医者の仕事の愚痴や文句を言わないようにとアドバイスされました。 子どもが医師になったら、今度は絶対に開業医の仕事の愚痴や文句を言わない。逆に開業医はいい仕事だと言っていれば、自ずと後から継いでくれるからとも言われました。 確かに私の父も、仕事の愚痴や文句は一切言わなかったですね。ですから私も迷うことなく医師の道に進もうと思ったのでしょうね。
藤田
それはとても大切なことですね。子どもは親の背中を見て育ちますから、親の教えはとても大きい。実際に大悟君もお父さんの影響が大きかったわけですから。ところが逆に、親の姿を見ていて、医者の仕事は大変で面白くなさそうだからと、受験の逃げ道にする人もいます。
金髪・ピアスの彼との出会いは衝撃でした
藤田
今だからお話しますが、大悟君が最初に来校した時は衝撃的でした。その時の彼は金髪にピアスで、しかも遊び仲間たちと一緒でした。最初は本気で医学部を受験するつもりがあるのか疑いましたが、聞くとどうやら本気らしい。しかし受験するのは彼一人だけだというので、他の友人たちはその場で追い返しました。そこから1時間くらいお説教です。 「本気で医者になりたいのか?」と聞くと「本当は医者になりたいです。」と言います。それまでの2年間は予備校の勉強についていけず、悩みを抱えながらも迷ったとのことでした。 よく話を聞いてみると、自分に合った医学部受験の勉強法が分かっていなかった。さらには誰にも相談できずに、友人たちと遊びに逃避してしまっていたのでした。
豊城氏
本人にも自覚はあったと思います。多分後ろめたさもあったのでしょうね。
藤田
医者になりたいという彼の気持ちは確かに感じました。地域の患者さんから慕われ尊敬されている医師としての父親の姿を目にしていて、自分も父親のような医者になりたい、そう思っていたそうです。祖父の代から続いている地域の医院を継いで地域の人たちに貢献するのが自分の使命だとも思っているように感じられました。
豊城氏
そんなふうに思っていたのですか。親子の間ではなかなか本人の口からは聞けない嬉しい話ですね。おかげさまで、今はまだ研修医ですが、3代目として頑張ってくれています。
藤田
そこで私は、私どもの予備校で本気で頑張る医師を確認するために、入塾に際して3つの条件を出しました。 一つ目が金髪を止める事。二つ目がピアスを止める。三つ目が受験勉強中は一緒に来た仲間たちと縁を切ること。この三つの条件が飲めるなら責任をもって君の面倒をみるからと伝えました。 本気だったら必ず来るだろうと待っていたところ、1週間後に、条件をすべてクリアし携帯電話も解約し、本気で頑張りたいと来校したのです。あまりの変わり様に最初は誰だかわかりませんでした。思わず君は誰だっけと言ってしまいました(笑)
自分が変わるチャンスを求めているのです。
豊城氏
本人は相当悩んだはずです。でもどうしてよいか分からない。ずるずると流されていた生活の中で、軌道修正するきっかけが欲しかったのではないでしょうか。
藤田
変わりたいという彼の願望は感じました。自分が変わるチャンスを模索していたのだと思います。 多くの受験生を見てきて感じるのですが、今の自分ではダメだと思いながらも、自ら改革ができないので誰かに変えてもらいたい。と願っている人が多くいるように感じます。 最近の医学部受験は年々厳しくなっています。それまでの自分の力では全く歯が立たず、それこそ人生で最大と思われる壁に跳ね返されてしまったと感じて苦しんでいる受験生が大勢います。しかしどうしたら乗り越えられるのか解らない。自身の課題が解っていないからどんなに頑張っても成績が思うように上がらない負のサイクルに陥ってしまう。多浪する受験生に多いパターンです。 私たちの受験指導とは学力を高めるのは当然として、その前提として一人ひとりが自らの課題と真正面から対峙し、自らがその壁を打ち破る力、困難を克服する力を育むことだと思っています。しかも課題は一人一人全て違います。だから個別指導でなければできないのです。 力はあるのに途中で挫折してしまう人がいます。もったいない話です。中には10年近く受験している人の話も聞きます。自分に合った予備校を選ぶことはとても重要なのです。
豊城氏
浪人1年目に藤田先生のところだったら結果も変わっていたでしょうね。これだけ熱心に指導してくれる先生は他にはいないと思いました。先日の大悟の結婚式でも藤田先生を主賓テーブルにお招きでき本人たちも喜んでいました。本当に感謝しています。 ところで、大悟の1年間はどんな状況だったのでしょうか?
藤田
大悟君は元から自らモチベートできる人だったと思います。ただどうしたら良いのか解らなかっただけなのです。夏の合宿が終わった頃から顔つきが変わりモチベーションも上がってきました。途中で脱走もありましたが(笑)。偏差値も、1年間で科目にもよりますが平均で15点から20点位は上がりました。元来は、慶應高校に合格するだけの力はあったはずですが、大手予備校が彼には合っていなかったのだと思います。何も身についていませんでした。いったい2年間何をやってきたのかと思いました。
豊城氏
そうですね。確かにそれまでの2年間の予備校時代では、成績はほとんど上がっていませんでした。
背水の陣で臨んだ3年目の受験。
藤田
まず本人が本気になるということが重要です。質の高い勉強をするためには、本人が本気になっているという質の高い精神状態をどれだけ長く作れるか、ということなのです。 それと受験には戦略も必要です。受験校の科目に沿った、合格するための断捨離も必要です。大悟君の場合は、最終的に帝京大学1本に定めて、年末からは英語と科学と生物の3科目に絞り込み、なりふり構わず徹底的に取り組みました。そこからの必死さは凄かったですね。それこそ背水の陣で臨んだ3年目の受験でした。 合格した時は本人の喜びもさることながら、合格してやっと親への恩返しができたという思いも強かったようですね。合格の報告に来てくれた時にそう語っていました。
豊城氏
最近の医学部は、2回留年すると放校とか、同学年の留年は2回までとか、入学後も相当勉強をしないと厳しいようですね。高校時代のこともあったので、入学後も心配でしたが全くの杞憂に終わりました。本人はやっと入学できたということや、3年目の受験生時代に自分は何で医者になりたいのかという自分自身のミッションも明確になったのでしょう。医学部の勉強は相当頑張ったようです。 3年目の受験生時代にあれだけ頑張れたという経験が自信になっていたようです。 さすがに医師国家試験の時は大変だったようですが、それでも後がないという崖っぷち感の予備校時代のほうが大変だったと言っていました。 私たちの時代と違い今の医学部教育は、ある意味では医師国家試験合格のための予備校化しているような気がします。今の医学部生は可哀想かもしれませんね。
親の役割は子供をじることに尽きます。
豊城氏
大悟の医学部受験を通して、子供を信じ見守ることの大切さを痛感しました。どこまでも子供を信じ、親としてできることはすべて行ってあげる。それでも親ができることは限られています。本人にとって良い勉強環境を作ってあげることくらいだと思います。 妻は家族のコミュニケーションのために、朝食を家族で揃ってとるように心がけていました。 また、大悟が医学部に入学したのを機に、万が一の時に備えて通常の生命保険とは別に、高額な生命保険に入りました。何故かといえば在学中に私が事故や病気などで倒れてしまえば、学費が出せなくなってしまいます。医学部の授業料は決して安くはありませんから、不測の事態に対する備えも親の務めと思っていました。
藤田
子供を信じるということはとても難しいことです。特に受験生は孤独になりがちで周囲はハラハラすることも多い。良かれと思い、つい口を出してしまう。逆に何も言わなければそれも不安につながる。そこのバランスが難しい。でも一番大切なのは心の奥底でしっかりと子供を信じ切ることなのだと思います。
代々の財産は紙のカルテ
豊城氏
余談ですが私の父が亡くなる時に、お金の財産は残せなかったけど紙のカルテが財産だと言われました。大悟にも、この財産は私から君に残す財産でもあるけど、でもこの財産は医者にならなければ使えない財産だよ。と言ったことがあります。彼はしっかりと受け止めてくれたようです。大悟にとってあの1年間は、勉強だけでなく人間としても成長できた1年だったように思います。
藤田
良いお話ですね。豊城大悟君のこれからの活躍がますます楽しみになってきました。本日はありがとうございました。
医学部合格をご希望の方はお問い合わせください。
相談のみでも大丈夫です。説明会・体験授業も実施していますので、ご希望の日時をお知らせください。
他の保護者インタビュー
池袋理数セミナーで志望大学医学部に合格したご家庭の保護者インタビューをご覧ください。